脱病院化社会

本当に正しい知識の羅針盤「ドクター牧瀬の症状別治療講座」


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(4)インターネットというツール

医者が、重傷のため人を青銅のメスで手術して殺したり、膿瘍を青銅のメスで手術して目を潰したなら彼の手を切る。

これは、「目には目を、歯には歯を」で有名な、ハムラビ法典の医師に関する条文です。この法典は、紀元前1800年ごろ、当時メソポタミアを支配していたバビロニアの王ハムラビによってつくられました。この一節からみると、当時から医療過誤はあり、現代より厳しい刑罰が加えられた印象をもちます。
しかし、実際にはこれほど過酷な刑罰は行われなかったようです。
白内障の手術を行って失敗すれば手を切り落とされるのであれば、よほど腕に自信のある医者でないと、だれもやりたくはありません。つまり、この法典が文字どおり施行されると、医者はいなくなるのです。

また、「もし大工が、家を人の為に建てて、彼の仕事を堅固にせず、そのため、建てた家が倒れて家の主を死亡させた時は、その大工は殺される」とあるように、死刑を含む条文がかなりあります。
しかし、当時の裁判の記録から判断すると、ほとんど死刑は実施されなかったといわれます。
ハムラビ法典を文字どおりの残酷な「同害復讐法」とみなすことには、かなり疑問が残ります。
むしろ、「他者の痛みを理解する」法典だと解釈すべきものではないでしょうか。手術に失敗し、死亡した患者の家族の心痛、よりよい視力を期待して目の手術を受け、かえって失明してしまった患者の悲痛、それに対して医者は自分の手を切断して、患者の痛みと悲しみを理解し、共有しろと法典はいっているのです。
しかし、実際にはそのような過酷な刑は行われなかった。つまり、時代精神の反映であり、為政者の支配理念を法典という形で表現したと、解釈すべきなのでしょう。
鑑みて、ハムラビ法典から4000年を経た現代、バビロニアの時代よりもはるかに多いと思われる医事裁判のほとんどすべては、「患者の痛みを理解」し、「患者の痛みに対する償い」を問うものではなく、ひたすら医療のテクニカルな過誤を追及するものとなっています。
何か、根本的に本質からずれているような気がしてならないのです。

・・・ そういう症状は、20例のうち1例は、その医師が診断したのとは違う病気によって引き起こされる。しかし、その20分の1の可能性が予見されず、誤った処置がなされ、患者は死亡した。したがって、その20分の1の可能性を予見しなかったのは、その医師の「明白な過失」である。それゆえに、業務上過失致死である。
しかし、20分の1の確率を予見できなかったのは、はたして「明白な過失」なのか? 2分の1であれば、状況によると、たしかに「明白な過失」かもしれない。しかし、1/10では? 1/15では? 1/25では? 1/50では? どこまでを「明白な過失」とするのか? ・・・ と、いうような、不毛な審理が続くのです。

このたぐいの裁判は、私たちの時代精神が根本的に変わらないかぎり、さらに泥沼化していくでしょう。 残念ながら、私たちが住む今の世界は、「他者の痛みを理解」しようとする場所ではなく、ずいぶん昔にマルクスが予 言していた悪しきタイプの資本主義(歯に衣を着せずいうと、米国流略奪資本主義)による、「他者の痛みを無視し、他 者から奪い取る」文明に覆われているのです。その一つの現われが、医療の独占なのです。
そして、いよいよ、その独占は、「他者の痛みを無視」するどころか、「他者の痛みをつくりだし、それを利用」する段階までに悪化しているのです。
それが、「医原病」であり、「薬害」なのです。
医療側が病気をつくりだし、それに化学薬品で対処し、その化学薬品が薬害をおこし、その薬害にさらに化学薬品で対処するという、悪夢のような医療が平然と行われているのです。
普通の感性をもっている人は、この暗鬱な絶望の連鎖を「医療のユートピア」とは呼ばず、「地獄」と呼ぶはずです(実際、その悪夢のような治療を受けて、身も心もぼろぼろになって、最後のよりどころとして、私のクリニックに来られる患者が実に多いのです)。
また、医療組織側がこれ以上さらに愚かな介入と独占を進め、医療の選択の自由を狭めていくと、不毛な医療訴訟はますます数を増していきます。
介入と独占には重い責任が伴います。介入と独占の程度と、医療訴訟の数は比例します。
その典型がアメリカです。FDAの管理のもと、極端な医療の独占化と介入がすすんだ国においては、患者側からの苛烈な訴訟に、医療組織も膨大な費用を使って防御しなければなりません。
かりに勝訴したにせよ、そのプロセスにおける時間のロスは甚大なものです。
つまり、独占と介入は医療組織側にも不利に働き、決して得にはならないということなのです。
また、うまくいけば助かるケースでも、リスクが多く伴う手術は避けられ、患者側にも不利な結果をもたらします。
それなのに、日本では私たちの日常生活にまで、検診という大義名分を使って、医療の介入はさらに拡大しつつあります。
そして、事態をさらに面倒なものにしているのは、余計な介入を行っている医師たち自身が、自分たちの行為が正しいものであり、巨大な診断機器を使い、可能なかぎり最新の医薬品を使うことが、進歩であると錯覚していることなのです。
これに対しては、私たちが、「余計なお世話だ!」というしかないのです。

しかし、そういうからには、私たちも自分や家族の健康に責任を持たなければいけません。医療側からいわせば、モンスター・ペイシェントとは、自分や家族の健康への責任を、医療側に理不尽なくらい過度に転嫁した患者やその家族をいうのです。
関東にある、さる公立病院です。
81歳になるご婦人が、肝臓がんのために亡くなられました。入院されたときから、肺にも転移があり、年齢も年齢なので、余命いくばくもないと家族にきっちりと説明はなされていました。
入院期間は4ヵ月弱です。母親の死亡の連絡を受けて、長男が病院に来られました。
その時、運悪く、ご婦人の主治医が他の患者の手術のために、手術室に入ったまま、出てこられない状態でした。
そこで、他の医師が息子さんと対応したのですが、主治医がでてこないことに立腹したのか、息子さんは「主治医を出せ、なんで、母親を殺したんだ! 土下座してあやまれ!」と、対応にでた医者の襟首をつかんで罵倒したのです。
しかし、その家族は都内に住んでいるにもかかわらず、100日以上母親が入院していた間、家族の誰一人として、一度もその病院に来ず、すべて病院まかせだったのです。
昔、人々は重い病にかかったとき、家族が野山にでかけ、何かいい薬草がないかと探し求めたものです。
自宅でお灸をすえたり、吸い玉で瀉血を行ったこともありました。
食事も家族が工夫したものです。
それゆえ、昔の人には、体の病変に関する鋭い、野性的な感性が残っていました。それがいつの間にか、何もかも、すべて医者や病院に任せてしまうようになり、自らを家畜化し、自分で治せるものさえ治せなくなってしまったのです。そして、少しでも、期待した結果が得られなかった場合、常軌を逸したモンスター・ペイシェントとなり、さらに不毛な医事訴訟へとエスカレートしていきます。
しかし、今、このサイトをお読みになっておられるあなたは、そうではないのです。
病院がだす医薬品では助からないと悟り、昔の人々が自分たちの手で健康を取り戻そうと野山で薬草を探したの同じように、インターネットで日本中の、いや世界中の良薬を、より良い治療を探し求めて、このサイトにたどり着かれたのです。これは、まさに「脱病院化」に向かって、一歩、踏みだされたことを意味するのです。素晴らしいことに違いないのです。

そして、野山で薬草を探すよりも、インターネットで探す方が、はるかに効率的です。
クリック一つで、《隣の病院がだす薬》 → 《アマゾンの密林のハーブ》 → 《チベット高原の冬虫夏草》 → 《京大のiPS細胞》 → 《北京の漢方》 → 《モスクワのオゾン療法》 →・→・→ と、世界を二周も三周もかけめぐれ、過去の文献にさえアクセスできるのです。つまり、インターネットは「脱病院化社会」への非常に有効なツールとなるわけです。
しかし、一方、 過度の情報は、何が正しいか、何が適切かの判断をくもらせ、結局は混乱だけを残します。現代医学の最新の抗がん剤から、漢方、ホメオパスィー、前世療法、色彩療法、ストーン・セラピー、クナイプ療法、等々、なんでもござれの玉石混交です。
そこで、このサイトでは可能なかぎり的をしぼり、瀉血以外は、だれでもが簡単にできる、ビタミン、ミネラル、ハーブ類による治療だけを紹介します(悪性リンパ腫や胃潰瘍などの一部の例外を除きます)。
それらを参考にして、少しでも、化学的医薬品から脱却していただきたいのです。
そして、「メタボ検診」や職場での定期健診で、血圧が高い、コレステロール値が高いと指摘されても、無条件に医薬品に飛びつかないで、まず、このサイトの「Ⅲ」章で、該当する病気の項目を探し、そこを読んでから、医者からすすめられる医薬品を服用するかしないかを決めていただきたいのです。
そして、「医原病・薬害 → これを医薬品で抑える → その医薬品による薬害 → それをまた医薬品で抑える → さらなる薬害」といった、決して出口の見つからない病の連鎖を断ち切っていただきたいのです。

しかし、ここで注意しておきたいことは、私たちは今「脱病院化社会」の入口に立ったところであり、今の症状が、何の病気によっておこっているかを自分で診断する能力と感性をすでに奪われているという悲しい現実です。
したがって、たとえば腰痛ですが、これがぎっくり腰なのか、あるいは慢性膵炎の痛みが腰に放散しているのか、あるいは前立腺がんの腰椎への転移なのか、そのへんの診断ができません。
頭痛に、ここに紹介しているフィーバーフューというハーブを使っても、もしその頭痛が片頭痛でなく、脳腫瘍であれば、取り返しのつかないことになります。正確な診断を下すためにはCTやMRIを使わねばならないかもしれません。
不本意なことなのですが、現時点ではやむを得ないのです。そこで、まず、一度は専門医に行き、ご自分の病気を診断してもらい、病状を正確に把握してください。そうでないと、危ないのです。
また、ここに紹介したサプリメントによる治療は、病気を改善させるためのものであり、予防のために、毎日、えんえんととり続けるものではありません。ビタミン、ミネラルにせよ、錠剤やカプセルでとるのは最低限にとどめるべきなのです。
ある種のサプリメントの例外を除いて、本来、あくまで食事から自然な形でとるべきものなのです。
そして、ここに書かれていることは、これを参考にして、各自が工夫して、独自の治療を開発するためのたたき台とする情報にすぎないのであり、ここに書かれているサプリメントをとり、治療法を行い、たとえ症状が悪化しても、私はいっさい責任がとれないことを、よく理解していただきたいのです(もちろん、私が実際に診察した場合は、話は別です)。

このサイトは『脱病院化社会』に向かっての一種の教科書なのです。数社から出版の依頼もあったのですが、できるだけ多くの人に無料で読んでいただくために、インターネットで発表することにしたのです。
また、インターネットを媒介にすると、改訂したり、補筆するのが簡単です。
医学は日進月歩です。現在の治療法は、明日にでも覆されることがあります。それに対応するにはインターネットが最も便利なのです。将来的には、イラストも挿入して、もっとわかりやすいものにしていくつもりです。
どうか、このサイトを、一種の教科書だと思って、自習していただきたいのです。そして、日々、改訂を行っていますので、二、三ヶ月に一度は、開いてください。

この章の最後に、もう一度、イリッチの言葉を引用しておきます。
医療の介入が最低限しか行われない世界が、健康が最もよい状態で広く行きわたった世界である。健康な人々とは健康な家に住み、健康な食事をたべる人々である。健康な人々は出産、成長、労働、治療、死のいずれに対しても適している環境の中の健康な家庭で生活している人々なのだ。彼らは結婚、出産、人間の条件の共有、死に対して官僚的干渉を必要としない文化によって支えられている。

次の「Ⅱ」章は、私たちの健康を脅かしている基本的な問題点を列挙しています。しかし、やや専門的な内容ですから、煩雑だと感じられる人は「Ⅱ」章を飛ばして、「Ⅲ」病気別処方にすすんでください。